土方雄久(ひじかたかつひさ) 天文22年〜慶長13年11月12日(1553-1608)
安土桃山時代の大名。姓、源。幼名、彦三郎。通称、彦左衛門のち勘兵衛。大和守頼親8世秀治が初めて一族を土方と称す。父、土方信治。尾張出身。18歳の時伊賀の戦いおよび小牧長久手の戦いで首2級の功績を挙げ織田信雄(織田信長の次男)に仕える。天正18年(1590)信雄が改易された後は、豊臣秀吉に仕える。慶長3年(1598)秀吉没後は、豊臣秀頼に仕えたが、徳川家康暗殺計画ありとして改易、常陸国に放たれ幽居される。石田三成の乱のとき罪を許され、北陸を鎮平し、家康に賞され所領を賜う。慶長7年(1602)従五位下・河内守。のち下総国田子に5000石が加賜された。 晩年は徳川秀忠の伽衆となる。56歳。
墓は、谷中霊園 乙13号右3側。当墓碑の墓誌にあるが、本墓は、文京区駒込吉祥寺。分骨は京都市北区の功運院。なお三重県菰野町見性寺に位牌がある。正面「先祖代々之墓」。「功運院殿創叔建忠大居士」。墓誌の詳細は、
こちら。