土方雄豊(ひじかたかつとよ) 寛永15年11月19日〜宝永2年7月1日(1638-1705)
第3代伊勢国菰野藩主。初名、豊雄。父、先代藩主土方雄高の実弟土方掃部氏久(三男:養子)。母、松本藩主水野忠清の娘。正室は、土方雄高の娘。京都出身。慶安3年(1650)土方雄高の養子となり、雄高の娘と結婚。慶安4年(1651)雄高の死去にともない、承応元年(1652)家督を相続。寛文元年(1661)従五位下備中守。寛文2年(1662)はじめて菰野に入る。寛文3年(1663)江戸にて火消しに尽力し、将軍徳川綱吉に賞される。延宝7年(1679)東市正と改める。延宝8年(1680)鳥羽藩主内藤和泉守忠勝が改易となったとき、鳥羽城受け取り役となる。元禄6年(1693)従五位下丹後守、大阪城守衛。宝永元年(1704)致仕。68歳。孫(豊高の長男)の土方内記豊義が継いだ。
墓は、谷中霊園 乙13号右3側。当墓碑の墓誌にあるが、本墓は、菰野の見性寺。「通霄院殿玄峯孤順大居士」。正室は、元禄13年(1700)6月23日歿、「真寂院殿天栄如頓尼大姉」。墓誌の詳細は、
こちら。