平木白星(ひらきはくせい)    明治9年3月2日〜大正4年12月20日(1876-1915)・・・1月2日説あり

    詩人・戯曲家。本名、照雄。号、白星。千葉県市原郡姉崎出身。父、鶴牧藩士平木登也(長男)。5歳で東京に移住。東京英語学校に入学し、明治27年(1894)卒業。第一高等学校中退。東京郵便電信局に勤務、累進して東京駒込郵便局長となる。傍ら文学の研究を行う。初め作品を「東京独立雑誌」に「天てらす神」を発表。「明星」で与謝野鉄幹に協力、西洋風の新体詩を発表、また長大な抒情詩の詩体を創造。明治35年(1902)白星は与謝野鉄幹(1873-1935)ともに韻文朗読会を起こし、蒲原有朋、河井酔茗、小玉花外、岩野泡鳴、島崎藤村(1872-1943)、薄田泣菫などが会員となった。明治41年(1908)「近世詩社」を主宰、また前田林外、河井酔茗らと「都会詩社」を結成、更に「文芸時報」を発刊。晩年は「日蓮の独白」、「その日の朝」、「象引」など戯曲を発表、劇詩・戯曲へと進んだ。著作:詩集「日本国家」、劇詩「耶蘇の恋」、「釈迦」など。

墓は、感応寺墓地(谷中6-2-4)。自性院側塀沿いの通路の中ほど。隣りの列にあるシュロの木の辺り。塀側を向く。正面「平木家之墓」。「厚徳院智光日照居士」。