平野好徳(ひらのよしのり) 文政7年〜明治33年11月1日(1824-1900)
少典医。名、好徳。通称、光太郎・大伴。父、堀井永監(?)。母、八木氏。弘化年中に平野家の養子となる。慶応元年(1865)補典薬寮医師。明治2年(1869)少典医。明治5年(1872)宮内省10等出仕。明治10年(1877)医員。明治14年(1881)宮内省准奏任御用掛。明治21年(1888)侍医局勤務。正六位勲六等。77歳。
平野光太郎(ひらのこうたろう) 明治元年〜明治45年6月10日(1868-1912)
常宮妃・周宮妃侍医。父、平野好徳(長男)。東京出身。医術開業試験委員。宮内省侍医局勤務。早稲田病院長。正七位。45歳。
※ 常宮(つねのみや): 明治天皇第6皇女。のち竹田宮恒久妃。
※ 周宮(かねのみや): 明治天皇第7皇女。のち北白川宮成久妃。
墓は、谷中霊園 乙5号4側。正面「平野氏歴世之墓」。正面には、墓誌を兼ねて多くの記録がある。東宮侍講正四位勲二等文学博士三島毅撰文碑がある。