平田小蝶(ひらたこちょう)     嘉永3年〜明治18年10月6日(1850-1885)

    戊辰戦争で戦った会津藩の「娘子隊」副司。父、会津藩士平田門十郎(二女)。江戸和田倉門藩邸に生まれる。中野竹子とともに江戸の赤岡忠良の養女となる。薙刀や習字を習い、戊辰戦争が起こったため帰郷し、城下で薙刀を婦人に教授。慶応4年8月23日の新政府軍の城下侵攻には間に合わず入城ならず、神指村高久に退く。24日坂下村から来た「娘子隊」の隊長で義姉の竹子と会い、25日共に若松西端の柳橋で戦ったとされる。なお、竹子は敵弾に倒れ、一緒に戦った妹優子の手により介錯され果てた。小蝶は、のち会津藩士戸田衛門と結婚。36歳。

墓は、長明寺墓地(谷中5-10-10)。本堂裏墓地入り口から約10m左側。正面「会津藩士平田門十郎二女/蝶子之墓」。超略歴あり。墓碑の施主は、姉富子と妹吉子。"紋十郎"とする資料があるが、墓碑は"門十郎"である。