広部清兵衛(ひろべせいべい) 天保6年3月〜明治25年5月19日(1835-1892)
広部銀行創立。名、宣賢。通称、清兵衛。福井県出身。清和源氏の出。代々清兵衛を襲名。福井県金津町の名門。明治初年上京。日本橋に油類・両替商を開店。明治12年(1879)本所に広部銀行を創立。尾張屋銀行・忍商業銀行各取締役。明治15年(1882)隠居。58歳。
広部清兵衛・次代 慶応3年〜昭和8年(1867-1933)
箱根土地会社(国土開発)設立。幼名、清太郎。父、先代清兵衛(長男)。明治20年(1887)家督を相続、清兵衛を襲名。広部銀行2代目行主。昭和2年(1927)財界ショックのため事業を解散。箱根土地会社(国土開発)を設立。東京土地会社・尾張屋信託会社各取締役。66歳。
※ 下北沢の市谷監獄が移転した跡地を、廣部清兵衛の廣部銀行・箱根土地会社(国土開発)が払い下げを受け、宅地に整地して、分譲地として売り出したが、刑場跡に慰霊のための等身大の観音様(高村光雲作)を建て供養した。また、谷中2丁目の高台を昭和16年(1941)ころ整地分譲したのも箱根土地会社。
墓は、谷中霊園 乙12号9側。正面「廣部墓」。正二位勲一等伯爵土方文元の篆額の大きな碑がある。