久永勇吉(ひさながゆうきち)
明治18年10月8日〜昭和6年11月30日(1885-1931)
明治大正期の工学博士。復興局土木科技師。土木学会会員。従五位勲六等。47歳。夫人、テレシア梅子(明治25年2月13日〜昭和16年7月22日)。著書・論説:「地震に因る堤防の被害と耐震堤防」、「材料の疲労と安全率」など。
墓は、谷中霊園 乙11号5側。舗装通路に面する。正面「久永家之墓」。「光珠院釈昊爍信士」。