菱田縫子(ひしだぬいこ) 寛延3年11月14日〜享和元年5月16日(1750-1801)
江戸中後期の歌人。江戸出身。 旧姓、河合。荷田蒼生子(かだのたみこ)に師事し国学を修め、最も詩歌に優れていた。和歌界で知られ、また歌人で書家の橘千蔭/加藤千蔭(1735-1808)らとの交遊もあった。寛政7年(1795)に刊行した荷田蒼生子の遺歌集「杉のしづ枝」の編纂をする。若くして寡婦となり、師の衣鉢を継ぎ、書を講じる。津藩江戸藩邸で講義中に急死した。52歳。
墓は、大雄寺墓地(谷中6-1-21)。本堂横を大行寺側奥に進み、突き当り手前15mほどの右側。正面「先祖代々之墓」。台石「菱田家」。「蓮池院妙瑞日清信女」。墓碑の裏手に旧墓碑と思われるものあり(写真下)。