保々誠次郎(ほぼせいじろう)・初代 慶応元年〜大正6年1月20日(1865-1917)
「玉の肌石鹸」創業者・石鹸界の先覚者。父、保々鎮郎(長男)。岐阜県出身。青年期に上京し石鹸職人となる。明治25年(1892)「芳誠舎」を江戸本所(墨田区緑)に創業、化粧石鹸の製造を開始。石鹸製造における立志伝中の人物。現在では「ミツワ石鹸」の商標権を持つ。53歳。
保々誠次郎・2代 明治26年〜昭和34年10月25日(1893-1959)
日本石鹸工業組合連合会理事長。前名、保々三郎。父、初代誠次郎(長男)。明治大学を卒業し、南洋方面を視察。大正6年(1917)誠次郎を襲名。父の創立した「芳誠舎」に入る。日本硝酸化綿製造取締役。養子保々英二は、先代誠次郎の5男。67歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。乙13号右5側を入る。道標あり。藤岡市助墓の隣り。正面「保々家之墓」。初代「誠光院実相良温居士」。2代「王宝院誠徳浩明居士」。