本多忠寛(ほんだただひろ)/本多忠廉(ほんだただかど)    文政10年1月20日〜明治18年12月20日(1827-1885)

    伊勢神戸藩第6代藩主・本多家7代当主。幼名、駒之助、のち忠廉・忠都。号、翠桐・崇陵・楽々斎。父、第5代藩主本多忠升(二男)。天保12年(1841)9月20日父の隠居に伴い家督相続、第6代藩主となる。天保12年(1841)12月16日従五位伊代守に叙せられる。弘化元年(1884)日光祭祀奉行。弘化4年(1847)大坂加番。嘉永2年(1849)竹橋門番。安政4年(1857)4月26日致仕、家督を養子本多忠貫に譲り隠居。明治18年(1885)4月13日正五位。59歳。

墓は、谷中霊園 甲9号4側。本多忠貫墓に並ぶ。正面「真徳院殿実誉義哲忠廉大居士」。