堀直賀(ほりなおよし)/奥田直賀(おくだなおよし)    天保14年9月24日〜明治36年1月6日(1843-1903)

    越後村松藩の第11代藩主。直寄系支流堀家11代当主。名、直賀。はじめ惠之助、真之充。号、賢堂。父、6代藩主・堀直教の長男の奥田教明(長男)。従五位下。万延元年(1860)10代藩主・堀直休が早世にともない世子徳次郎が幼かったため代わって家督を継ぐ。幕末にあたり藩内の勤王7士の説を入れようとしたが重臣らが反対し、やむなく佐幕派となった直賀は、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では明治新政府を支持する正義党の安藤安五郎と対立し米沢藩に逃れ恭順した。7士の一人蒲生済助・安五郎らは先代藩主・直休の弟・堀直弘(貞次郎)を新藩主に擁立して新政府軍に謝罪し降伏した。明治10年(1877)奥田姓に戻る。60歳。

墓は、寛永寺谷中墓地(凌雲院墓地)。乙8号6側の舗装通路向い側の隙間を入る。卵形の黒い大きな「凌雲院累代之墓」の隣り。正面「安達院殿従三位清節直賀大居士」。右側面「奥田直賀之墓」。