細田栄之(ほそだえいし)     宝暦6年〜文政12年7月2日(1756-1829)

    浮世絵師。名、時富。通称、弥三郎・民之丞。号、鳥文斎。父、500石の旗本勘定奉行細田丹波守時行(長男)。幕府勘定奉行細田時侯の孫。藤原氏支流。安永元年(1772)家督を相続。天明元年(1781)将軍徳川家治の小納戸役に列し、将軍が絵を好んだことから絵具役を勤め、栄之の名をいただく。天明3年(1783)西城に勤める。寛政元年(1789)34歳で致仕。500石の身分だったが町絵師となる。はじめ日本画を奥絵師狩野栄川院典信(かのうえいせんいんみちのぶ)に師事、浮世絵を文龍斎に師事。肉筆画にも優れ、隠退後は遊女を多く描き評判となる。その彩色は墨、藍、紫、黄を用いた 「紅嫌い」と呼ばれる画法で、暖かみを感じるものであった。妻は、大岡淡路守忠主の娘。74歳。

※ 切手趣味週間シリーズの「浮世源氏」(1959.5.20発行)がある。

墓は、蓮華寺墓地(谷中4-3-1)。既に合祀墓に移されていて存在しない。「広説院殿皆信栄之日随居士」。