細川利永(ほそかわとしなが) 文政12年1月24日〜明治34年4月19日(1829-1901)
肥後熊本新田藩(高瀬藩)第10代藩主(最後)。父、第8代藩主細川利愛(三男)。従五位下。嘉永6年(1853)第9代藩主細川利用の養子となる。安政3年(1856)藩主隠居にともない跡を継ぐ。元治元年(1864)神田橋御門番。慶応元年(1865)佃島砲台警備。明治2年(1869)大原口警護。なお、高瀬藩は肥後熊本藩の支藩で、版籍奉還時に熊本藩に合併。73歳。
墓は、天王寺墓地。ぎんなん横丁近く。夫人錫子(?-1915)と長男の細川利義(明治20年7月19日没)墓に並ぶ。正面「大教正従三位子爵細川利永奥通紀」。H.N.もへい様の情報によると細川利永より前の細川利用までは北品川の東海寺妙解院跡墓地にある。利義より後の利文・利壽・利康は、寛永寺谷中墓地にある。