市川団蔵(いちかわだぞう)・6世    寛政12年〜明治4年10月22日(1800-1871)

    歌舞伎役者。父、初代市川荒五郎。幼名、照世。俳名、市紅。江戸出身。7世団十郎に入門。三蔵・茂茂太郎・白蔵と改名。通称、麒麟児。つづいて2世九蔵・三猿・市紅庵と改名し、のち6世市川団蔵を襲名。大阪と江戸で活躍。養女に柏木市猿を名乗らせ、日本舞踊柏木流が確立された。養子に7世市川団蔵。

墓は、天王寺墓地。さくら通りに面する。7世・8世と同じ墓域。「六代目」とある。墓碑裏に記載なし。大阪の妙円寺にもあるらしい。