歌舞伎役者。父、7世団蔵(二男)。東京日本橋出身。屋号、三河屋。俳名、市紅。明治18年(1885)稚児役で初舞台。明治29年(1896)市川茂々太郎と改名。明治41年(1908)市川九蔵を襲名。昭和18年(1943)8世市川団蔵を襲名。引退直後の5月に一人旅に出て、四国八十八ヶ所巡拝後瀬戸内海で入水自殺。 辞世の句 「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」。