市川権十郎(いちかわごんじゅうろう)    嘉永元年9月15日〜明治37年3月27日(1848-1904)

    歌舞伎役者。屋号、川崎屋。本名、岡田喜三郎または菊三郎。俳名、鯉江(りこう)。京都出身。父、伊勢屋喜三郎。3代嵐璃寛(りかん)に師事、璃喜丸と名乗り、安政5年(1858)11歳で初舞台。2代嵐璃?(りかく)の養子となり、3代芳三郎を経て3代璃?を襲名。のち江戸へ出て璃鶴と改名。明治4年(1871)守出座「元禄曽我金瓶山」に市川瑠鶴の名で出演中、夜嵐原田お絹が夫を毒殺した事件が関連して入獄。明治7年(1874)に出獄し、9代市川団十郎の門人2代目市川権十郎を名乗った。明治9年(1876)春木座座頭。明治36年(1903)明治座「神霊矢口渡」などに出演中肺炎となり、翌年没する。長身で品位ある容姿をしていてため旗本役に適した。当たり役は、「慶安太平記」の松平伊豆守、「大盃」の伊井掃部頭(かもんのかみ)、「湯殿の長兵衛」の水野十郎左衛門など。なお、入獄事件があり山崎屋河原崎権十郎を襲名させられなかったため、代わりに一代限りの名として市川権十郎とした。

墓は、天王寺墓地。「菊芳院観道自證居士」。