講談師。本名、升井長四郎。明治19年(1886)11歳で4代目一龍斎貞山に入門し一龍斎貞花を名乗る。師の没後、明治23年(1890)5代目一龍斎貞山門へ移る。21歳の時に3代目一龍斎貞丈を襲名。明治40年(1907)5代目が錦城斎典山となったのを機に6代目一龍斎貞山を襲名。昭和14年(1929)落語協会からの要請で講談師でありながら落語協会の会長に就任。昭和20年(1945)年3月10日東京大空襲に遭い、隅田川で死亡。大正から昭和初期に、3代目神田伯山、2代目大島伯鶴と共に確固たる地位を築いた。「赤穂義士伝」を得意とし、ラジオが普及したため全国的に名を知られた。