一龍斎貞山(いちりゅうさいていざん)・6代    明治9年11月〜昭和20年3月10日(1876-1945)

    講談師。本名、升井長四郎。明治19年(1886)11歳で4代目一龍斎貞山に入門し一龍斎貞花を名乗る。師の没後、明治23年(1890)5代目一龍斎貞山門へ移る。21歳の時に3代目一龍斎貞丈を襲名。明治40年(1907)5代目が錦城斎典山となったのを機に6代目一龍斎貞山を襲名。昭和14年(1929)落語協会からの要請で講談師でありながら落語協会の会長に就任。昭和20年(1945)年3月10日東京大空襲に遭い、隅田川で死亡。大正から昭和初期に、3代目神田伯山、2代目大島伯鶴と共に確固たる地位を築いた。「赤穂義士伝」を得意とし、ラジオが普及したため全国的に名を知られた。

墓は、経王寺墓地(日暮里3-2-6)。本堂に向かって本堂左角通路を入ってすぐ左側。「桝井家之墓」。「一龍院貞山日光信士」。