出田晴太郎(いでたはるたろう)     安政5年〜明治13年10月22日(1858-1880)

    クラーク博士で有名な札幌農業学校一期生・農学士。父、豊後藩士日田鎌八。大分県出身。静岡県中学校専学洋書頭。東京に出て英語を修得。明治9年(1876)開拓使農業大学校が札幌にでき、1期生として入学。明治13年(1880)卒業し農学士となる。大学校開拓使官員となる。帰省の途中、東京大学病院で病死。23歳。弟の新も農学士となる。
※ クラーク博士は、「青年よ 大志を抱け」の名言で有名。初代教頭でもある。

墓は、谷中霊園 甲4号5側。正面「農学士出田晴太郎墓」(陸軍中将・内閣総理大臣 黒田清隆篆額、大分県士族開拓使官吏 奥並継書)。