五十嵐与助(いがらしよすけ) 明治11年〜昭和32年3月1日(1878-1957)
我が国冷蔵倉庫業の鼻疽。はじめ柏崎において北洋漁業と冷凍魚介類の輸出を主な事業としていたが、欧米諸国の冷凍施設を歴訪視察し、大正11年(1922)3月芝浦に日米水産株式会社を設立。昭和23年(1948)7月五十嵐冷蔵株式会社に改称。80歳。妻スイは、江森三郎の4女。
※ 柏崎市大久保から年金ホーム越路荘へ行く途中に「与助道路」という碑があるが、この道路は、昭和15年(1940)に五十嵐与助が道路建設費を寄付したために命名されたもの。
墓は、経王寺墓地(西日暮里3-2-6)。山門を入り直ぐ左側l。正面「宝珠院悟法日与大居士/宝蓮院妙光日華大姉」。