稲延利兵衛(いなのぶりへい)    嘉永4年12月15日〜昭和12年1月14日(1851-1937)

    日本通商銀行頭取・東京市議会議員・富士紡績取締役。江戸本材木町に生まれる。父、稲延安兵衛(長男)。日本橋江戸橋西詰で代々手広く履物商「常陸屋」を営み、利兵衛も家業を継ぎ、組合頭取を務める。明治4年(1871)結婚。のち、鐘淵紡績・富士瓦斯紡績・内国通運・第一機鑵保険の取締役、ならびに稲延銀行設立・日本通商銀行頭取に従任。区会・市会・商工会議所議員等の公職に就く。二男に歌舞伎役者5代目市川三升(いちかわさんしょう:1882-1956)がいる。87歳。

墓は、谷中霊園 甲1号4側。正面「稲延家之墓」。「成勝院釈紫藤」。