伊臣忠一(いおみちゅういち) 天保9年4月18日〜明治40年4月8日(1838-1907)
実業家。愛媛県宇和島藩士。父、宇和島藩士。宇和島藩に出仕し、維新後、愛媛県警部を経て、明治7年(1874)ころ福岡甚作・高橋亘らと大蔵省検査寮12等出仕。明治8年(1875)検査権中属。のち、大蔵省7等属。明治15年(1882)国際局に転任。明治20年(1887)官を辞す。以後、雨宮敬次郎と共に各種の事業を興す。晩年、第3銀行協議役・根室銀行取締役・房総鉄道会社取締役。明治の初め、チョンマゲ姿をして靴を履き、こうもり傘をさして歩き、断髪令が出ると即日断髪したという。70歳。
伊臣第一郎(いおみだいいちろう) 明治41年4月1日〜昭和61年8月11日(1908-1986)
農林中央金庫理事・雪印乳業副社長。著書:「御意見拝聴」。
墓は、谷中霊園 乙11号9側。西園寺墓の横の通路を入り、突き当り。伊臣忠一の子息伊臣真も実業家で合祀されている(昭和27年5月2日歿)。