石橋重朝(いしばししげとも)     弘化2年〜大正8年11月24日(1845-1919)

    大蔵少権書記官・初代内閣統計局長。父、佐賀藩士石橋朝郁(二男)。佐賀藩士出身。明治元年(1868)佐賀藩弘道館の寄宿斎長、のち江戸に出て開成学校に学ぶ。明治3年(1870)米国留学。帰国後佐賀藩権大属。分家して一家を創立。明治5年(1872)佐賀藩と英国商社との高島炭鉱共同事業の起業に尽力。明治6年(1873)工部省出仕。明治18年(1885)初代内閣統計局長。正四位勲五等。74歳。著書:「勧商ノ針路ヲ一転スルノ説」。

墓は、谷中霊園 乙8号7側。正面「正四位勲五等石橋重朝之墓」。