石幡伊三郎(いしばたいさぶろう)     明治7年〜明治38年12月26日(1874-1905)

    文学士。東京出身。陸軍歩兵中尉。外国武官接判員。父、福島県伊達郡石幡伊兵衛(三男)。16歳のとき東京予備学。明治22年(1889)のとき仙台に赴き高等学校に入り、心理学を専攻する。明治33年(1900)卒業。東京大学哲学科に入るも志願兵となる。明治35年(1902)陸軍少尉正八位に叙される。明治37年(1904)歩兵第1師団に入る。3月に大本営配属。7月池田大佐に伴い欧米観戦。盛京省旅順要塞二龍山で戦況視察のときに敵砲弾に当たり即死する。正七位勲六等単光旭日章に叙す。31歳。訳書:ティチェナーの「心理学通論」。解説書:「レーマン氏感情生活之原則」。

墓は、谷中霊園 甲8号15側。正面「陸軍歩兵中尉 正七位勲六等文学士 石幡伊三郎 墓」。