石田一松(いしだいちまつ)    明治35年11月18日〜昭和31年1月11日(1902-1956)

    バイオリン演歌師(漫談家)・衆議院議員。広島県出身。レンズ工員を経て19歳で上京し昭和2年(1927)法政大学卒業。在学中に添田亜蝉坊らの東京青年倶楽部に入り演歌師となる。大正12年(1923)ころ作成したバイオリンを弾きながら世相を風刺する「のんき節」が有名でラジオや映画に活躍。権力に抵抗する演歌師で、辛らつな政治風刺が検閲に触れ、度々出演停止となる。昭和5年(1930)柳家金五楼の勧めで吉本興業所属の作詞家・作曲家・お笑いタレントとなり、浅草万成座に「インテリ・時事小唄・法学者」の看板を揚げ講座に上る。昭和21年(1946)戦後初の総選挙で「日本正論党」という一人一党から立候補し、鳩山一郎、山口シズエ、野坂参三とともに衆議院議員に当選。タレント議員の草分けとなる。衆院議員4回。ヒロポン中毒者でもあった。正五位勲四等。著書:「のんき哲学」。

墓は、安立院墓地(谷中7-10-4)。正面「石田家之墓」。「澄月院釈松籟居士」。