石原米太郎(いしはらよねたろう)
明治15年9月2日〜昭和36年5月6日(1882-1961)
日本の「特殊鋼の父」・特殊製鋼社長。父、石原儀八(三男)。群馬県大間々町出身。早くより鉄工業に従事、福岡県の八幡製鉄所で独学で専門知識と技術を習得。のち合資会社互光会を設立・代表。のち、特殊製鋼創立に参画、主宰、業界一流企業に育てる。80歳。
墓は、寛永寺墓地第3霊園。入り口より入り大通路左側。北村家墓の向かい辺り。正面「石原家之墓」。「肇鋼院殿傑山瑞翁清大居士」。