石川博資(いしかわひろすけ) 明治24年11月29日〜昭和40年5月18日(1891-1965)
皇居前に和気清真呂/和気清麿像を寄付。父、石川光毅(二男)。秋田県出身。大正5年(1916)南米に渡り、のち中国・東南アジアを訪れる。経済界に入り、宝金興業社長。帝国産金興業会社設立。帝国水銀興業・天安産金興業・日邦興業・帝産オート・帝産広島バス・中部相互銀行・帝産京都自動車などを経営。伊豆観光汽船取締役。駿豆鉄道・箱根遊覧船各監査役。従五位勲四等。
※ 和気清真呂/麿:わけのきよまろ。天平5年〜延暦18年2月21日(733-799)。奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。戦前は、勤皇の忠臣と見なされ、紙幣(ろ拾圓券)に肖像が印刷さる。また、気象庁付近の皇居前や、岡山県和気神社などに銅像がある。
※ 石川博資は、この他に昭和30年(1955)に京都洛東霊山の麓に「霊山観音」を建立し、観光名所になっている。
墓は、寛永寺第一霊園。入り口よりすぐ左側のひときわ大きい墓碑。正面「霊山院殿自観博資大居士塔」。