石川七財(いしかわしちざい) 文政11年4月8日〜明治15年7月30日(1828-1882)
三菱財閥創始期の一人。武士出身。父、御両口役石川唯七。明治に入り高知では、岩崎弥太郎の活躍を快く思わない勢力があり、横目付の石川は、弥太郎を監視するために大阪に派遣せれる。弥太郎と接触するうちに、弥太郎が日本の現状や海運・貿易の重要性について説き、この話に共鳴してしまい、やがて、後に日銀総裁となる川田小一朗と共に、三菱財閥の創始者岩崎彌太郎を支えた一人となる。明治10年(1877)の西南戦争で三菱は政府軍の兵站輸送を請け負うが、石川七財は、この総指揮をとる。55歳。
※ 性格は粘着質で、藩邸の門限を破った者をしつこく糾弾したため、逆切れされて切りつけられ、額に傷を負い、トレードマークとなった。
墓は、谷中霊園乙11号10側。通路に面する。石囲いの中、門あり。正面「石川七財之墓/妻 八重子之墓」。