石川大浪(いしかわたいろう) 宝暦12年〜文化14年12月23日(1762-1817)・・・1765説あり
江戸洋画家。名、乗加(のりまさ)、のち七左衛門。通称、甲吉。字、啓行。号、大浪・TAFEL Berg・薫松軒(くんしょうけん)・机山。父、旗本石川氏(長男)。弟、石川孟高(もこう)。江戸出身。幕末の旗本で大番組頭を勤める。 大田南畝同様、幕臣でありながら文化人として活躍。杉田玄白・大田南畝・大槻玄澤・前野良澤・谷文晁・木村蒹葭堂などと交流があった。蘭学者とも交流があり、自らも多くの蘭書を所蔵した。寛政年間にはちょっと名の知れた蘭学者となる。玄澤・玄白・杉田立卿らの著書や翻訳書に挿絵を描き、蘭書の挿絵銅版画などから洋風画を学ぶ。大浪の洋風画には油絵はなく、墨絵か淡彩色であった。また、"横文字のサイン"を用いた江戸人の一人。作品:「天地創造図」、「西洋夫人図」、「花鳥山水図」、「ヒポクラテス像」、「杉田玄白像」など。
※ "大浪"の号は、南アメリカのテーブル マウンテンのことで、中国表記の"大浪山"からとったもの。また、オランダ語でテーブル マウンテンを意味する"Tafel Berg"と署名、その訳の"机山"とも号した。
墓は、本光寺墓地(谷中1-5-2)。 墓碑表面は崩れて読めない。小型墓でほぼ崩壊している。右面「石川七左衛門」。「智徳院殿勇健日進居士」。