石山賢吉(いしやまけんきち)    明治15年1月2日〜昭和39年7月23日(1882-1964)

    ダイヤモンド社の創業者。新潟県西蒲原郡出身。父、石山賢治(長男)。幼くして父を亡くし母方白根町の川瀬家にて育つ。同県白根尋常高等小学校卒業後、白根郵便局(電信掛)、加茂郵便局勤務を経て 22歳の時上京。日本大学別科中退、明治39年(1906)慶応義塾商業学校卒業。野衣秀市と共に「三田商業界」(「実業の世界」の前身)を創刊。雑誌、新聞記者を経て大正2年(1913)5月ダイヤモンド社を創業、「ダイヤモンド」誌(月刊)を創刊。以来50年ダイヤモンド社の社長、会長として経営にあたるとともに、第一線の記者として健筆を揮う。"ダイヤモンド"とは、小さくて光るという意味。75歳で米国産業界を視察。昭和12年(1937)東京市会議員、その他多くの監査役・相談役を務める。昭和22年(1947)衆議院議員などの公職も勤めた。一時、戦犯追放となるが、翌年解放されダイヤモンド社に戻る。昭和30年(1955)第3回菊池寛賞、昭和37年(1962)藍綬褒章、紺綬褒章、昭和39年(1964)勲三等旭日中授章。没後従四位に叙せられる。82歳。著書:「決算報告の見方」など30数冊。

墓は、寛永寺第三霊園。大通路を約1/3ほど行き、大通路沿い右側。