井染禄朗(いぞめろくろう) 明治11年3月7日〜昭和5年4月20日(1878-1930)
陸軍中将・第16師団留守司令官。父、吉田文護(二男)。山梨県出身。明治32年(1899)11月21日陸軍士官学校卒業。明治33年(1900))6月陸軍歩兵少尉。同年井染得吉の養子となり、家督相続。明治35年(1902)11月陸軍歩兵中尉。明治37年(1904)9月陸軍歩兵大尉。明治39年(1906)11月陸軍大学校入学。明治42年(1909)12月陸軍大学校卒業。明治44年(1911)11月陸軍歩兵少佐。大正2年(1913)ロシア大使館付き武官補佐官として勤務し、その諜報活動を行い、ロシア式戦術を研究。大正5年(1916)11月陸軍歩兵中佐。大正8年(1919)5月陸軍中佐としてシベリア出兵。勲三等瑞宝章受章。ペトロフ将軍のロシア金塊引き渡し事件(1919)の後、大正9年(1920)1月陸軍歩兵大佐。大正13年(1924)2月陸軍歩兵少将。昭和4年(1929)8月陸軍歩兵中将・第16師団留守司令官。正四位勲二等功三級。著書:「西伯利経済地理」。53歳。
墓は、谷中霊園乙5号1側。正面「陸軍中将正四位勲二等功三級井染禄朗之墓」。「香雲院釈朗輝居士」。井染得吉は「名誉院釈得応居士」。