伊藤幹一(いとうかんいち)    弘化元年11月〜大正11年5月28日(1844-1922)

    学習院創立に功績・東京株式取引所常任理事。父、幕臣伊藤幸之助(長男)。東京出身。維新の動乱に際し脱走の徒に加わり官軍と戦うが敗れて静岡に帰る。明治4年(1871)東京府に出仕。明治5年(1872)学制の制定に従い、東京師範学校・学習院の設立に功績を挙げる。明治11年(1878)教育界を去り、東京株式取引所書記官、のち常任理事。日本陶料・日韓瓦斯電機・東京瓦斯・東京湾汽船・石狩石炭・二十七銀行・日本昼夜貯蓄銀行・旭日生命保険各監査役。東京株式取引所相談役。明治22年(1889)鵠沼海岸別荘地開発に関与。明治29年(1896)東京市会議員(小石川区)。
※ 学習院:起源は、弘化4年(1847)とくに教育機関がなかった公家(くげ)のための学習所として京都御所内に設立された「学習院」(1867閉鎖)にまで遡る。現在の学習院の直接的な起源は、華族有志が結成・創設した華族会館によって明治10年(1877)に東京・神田錦(かんだにしき)町に設立された華族学校であり、明治天皇の勅諭により「学習院」と名づけられた。

墓は、谷中霊園 甲1号8側。正面「伊藤家之墓」。「本覚院殿一如徳高居士」。