伊東徹太(いとうてつた)     明治11年8月4日〜大正8年8月5日(1878-1919)

    明治大正期の医者・医学博士。旧姓、星島。岡山県出身。岡山中学校卒業。東京帝国大学卒業。ドイツ留学後大正2年(1913)千葉医学専門学校(現千葉大)教授となる。皮膚病や性病を研究。軟性下疳の診断に用いられる「伊東反応」で知られる。正六位勲六等。42歳。

※ 大正4年(1915)野口英世が帰国し、千葉医専を訪ねてきて伊東徹太教授の「ワイル氏病菌の純粋培養」を見、説明を聞いて、「日本がここまで進んでいたとは・・・」と感心し、後の野口に大きな影響を与えたという。

※ 岡山中学校時代に後輩でワイル氏病の病原菌を発見した井戸泰(1881-1919)と同籍している。野口英世は、井戸の功績にもびっくりしたという。

墓は、谷中霊園 甲8号9側。さくら通りから約30m左側。正面「伊東家累代之墓」。「真心院釈徹到居士」。