岩村英俊(いわむらひでとし) 文化元年?〜明治15年8月5日(1804?-1882)・・・1808説あり
名、茂俊・有助。号、礫水。岩村通俊・岩村高俊の父。土佐山内家の国老で宿毛邑主安東氏(後の伊賀氏)の臣。岩村家は、平清盛の後裔といわれる。壇ノ浦で敗れ、土佐に子孫が逃れ、門脇と名乗り、のち安芸国虎に仕え大井姓を名乗り、のち長曾我部元親に仕え岩村と改める。長曾我部氏が滅亡した後、山内一豊が入国し、一豊の家老宿毛邑主安東節氏に仕え、縮毛に移る。英俊の代になり、和漢・文武に秀でた英俊は、重用され10代安東氏固・11代安東氏理に仕える。とくに理財に優れ禄10石を加増される。その後嘉永元年(1848)にも功績を認められ10石を加増されている。佐幕・攘夷の騒然とするにいたり、尊王攘夷に導く。維新後は、東京に移り、会計検査院長。のち余生を楽しむ。妻加乃は、小野義質の娘。従四位勲四等。79歳。
墓は、谷中霊園 乙12号9側。正面「岩村英俊之墓」。岩村有助という墓碑もあるが別人。