和泉要助(いずみようすけ)    文政12年〜明治33年9月30日(1829-1900)

    人力車発明者。姓、長谷川。幼名、藤太郎、庄作。福岡県出身。父、長谷川作右衛門(長男)。嘉永3年福岡藩士出水要の養子となり、名を要助とする。のち字を和泉とした。嘉永4年(1851)藩主黒田美濃守にともない上京。安政3年(1856)家主町役人。明治元年(1868)江戸城三条公等の賄御用。この頃鈴木八百屋の徳次郎と親交が出る。横浜開港で洋馬車が輸入されると、鈴木徳次郎と高山幸助らと人力車を製作。明治3年(1870)東京府の許可を得て日本橋で営業を開始。人力車総行事となり新規に購入する者に対して許可権を得た。明治10年(1877)第1回内国勧業博覧会に出品。

墓は、長明寺(谷中5-10-10)。山門を入りすぐ左の通路を行き約20m右側。「大車院自在日乗信士」。山門近くの桜の木の下に碑がある。