慈海僧正(じかいそうじょう) 寛永元年〜元禄7年(1624-1694)
寛永寺一山を統括する学頭(輪王寺宮代理)で凌雲院住職。字、宋順。34歳で東叡山護国院住職兼目黒不動尊住職。また、凌雲院(りょううんいん)住職兼比叡山宝円院住職も兼ねる。天和3年(1683)比叡山西塔院執行。貞享3年(1686)江戸城内紅葉山別当。川越仙波喜多院第30世住職を経て東叡山の代表格である凌雲院4世学頭として入る。「訓点諸経」・「諸陀羅尼」の翻刻は、「慈海本」と称される。著書・翻刻:「法華経」、「薬師経」、「四教義集纂」。「註標指鈔」。