神保恒春(じんぼつねはる)    明治33年10月1日〜平成4年4月16日(1900-1992)

    秋田大学医学部教授・日本産婦人科学会評議員。父、神保正表(五男)。北海道東方岩内前田村出身。北海道帝国大学医学部卒業。医学博士となる。はじめ根室病院に勤務。のち秋田市にて婦産科医院を開設し、30年診療を続ける。その間、昭和20年(1945)4月戦争のため医師不足を補う目的で計画された秋田県立女子医学専門学校創立に参画し、同校教授を勤める。しかし終戦しGHQの指導で設備脆弱のためわずか2年で廃校となり、付属病院だけが県立病院として残り、昭和45年(1970)新設の秋田大学付属病院に移管となった。日本産婦人科学会評議員および同会東北連合会長となる。鉄道医学会賞受賞。91歳。なお、女子医専の跡地の楢山公園には神保恒春が寄贈したブロンズの遺跡彫刻(平成2年完成)が立っている。

墓は、寛永寺第二霊園。正面「神保家累代之墓」。