慈徳院(じとくいん)/お富の方 ?〜文化14年5月8日(?-1817)
11代将軍徳川家斉生母。一橋徳川家当主徳川治斉の側室。父、幕臣岩本内膳正正利。母、大奥御年寄梅田の養女。江戸出身。明和元年(1764)本丸奥勤めとなったが、安永元年(1772)3月一橋徳川治斉の所望により一橋家に移り、ただちに中臈となる。安永2年(1773)に豊千代を生み、のち豊千代は10代将軍家治の養子となり、11代将軍徳川家斉となる。子は、家斉の他に、尾張藩主徳川治国・福岡藩主黒田斉隆・一橋徳川家当主徳川斉敦。
墓は、寛永寺境内墓地。無紋の八角宝塔。「慈徳院殿善教成誉大姉」。ただし、「徳川将軍家墓碑総覧」説。