加賀美照太郎(かがみてるたろう/しょうたろう) 元治元年〜大正10年3月21日(1864-1921)
海軍軍医大鑑。父、加賀美光矩(四男)。山梨県出身。海軍軍医総監加賀美光賢(かがみみつかた:1846‐1907)の弟。神職の家に生まれ、医学を志す。日清・日露の両役に従軍。海軍軍医大佐。累進して海軍軍医大鑑。大正5年(1916)予備役。海軍掖済会横浜病院長。姉の加賀美繁子(1856-?)は、竹田宮昌子(常宮:明治天皇の六女)・北白川宮房子(周宮:明治天皇の七女)の養育掛(養育主任は、侯爵佐々木高行)であった宮内省御用掛。正五位勲三等功四級。58歳。
墓は、谷中霊園 甲新9号1側。さくら通りに面する。正面「久遠」。