神谷伝兵衛(かみやでんべい)・初代 安政3年2月11日〜大正11年4月24日(1856-1922)
電気ブラン開発・日本ワインの父。三河国(愛知県)松木島出身。幼名は松太郎。父、兵助。父は名主だったが道楽で貧しかった。母が実家の親に教育を頼んだ。姉が嫁いだ酒造の盛んな知多郡植村に行ったおりに酒屋になることを決心した。明治6年(1873)横浜でフランス人の経営するフレツレ商会で洋酒醸造に勤め洋酒醸造を学ぶ。明治13年(1880)25歳のとき浅草花川戸に酒の一杯売りの店を開店させたが、輸入ワインが日本人の口に合わないことを知り、改良再生ワインを作り発売し「蜂印香◇葡萄酒」として販売、広く愛飲されるに至る。その後、輸入ワインに高い関税が掛かるため国産のワインの醸造に取り掛かり、のちに茨城県牛久村の広大な葡萄園と製造工場によって生産された葡萄酒は、神谷酒造の蜂ブドー酒の原型となった。浅草神谷バーの電気ブランは今でも店舗ともに健在。なお、茨城県牛久には、シャトー神谷があり、観光地となっている。
墓地は、天王寺墓地。桜通り地蔵尊前。正面「従六位神谷伝兵衛之墓」。「受徳院釈證現居士」。