金子薫園(かねこくんえん)    明治9年11月30日〜昭和26年3月30日(1876-1951)

    歌人。本名、雄太郎。旧姓、武山。父、武山助男(長男)。外祖父金子氏の養嗣子。東京神田淡路町出身。東京府尋常中学校卒業。同級に尾上柴舟がいる。国学者落合直文(1861-1903)に師事。明治26年(1893)落合直文の「浅香社」に入る。恋愛歌が主流の時代に尾上柴舟(おのえさいしゅう:1876-1957)と共に「叙景詩」を発表し、歌壇に新しい風を示した。明治30年(1897)「新声社」に入り、のち「新潮社」に改名。「文章倶楽部」編集。「新声」和歌選者。「白菊会」を起こし、自由律短歌を創始。「日本文章学院」主幹。反「明星」叙景詩運動を起こす。雑誌「光」創刊。新潮社調査部長。大日本歌人会顧問。昭和23年(1948)芸術院会員。歌人武山英子の兄。歌集:「片われ月」「伶人」「覚めたる歌」「白鷺集」など。74歳。
作品例:「あけがたのそぞろありきにうぐひすのはつ音ききたり藪かげの道」。

墓は、明王院墓地(谷中5-4-2)。正面「金子累代之墓」。太子堂裏へ本堂脇奥、突き当たり付近。ただし、該当する俗名、没年月日は見当たらない。