初代八田藩主。別名、東阿倉川藩。8代将軍徳川吉宗の側近。父、紀州藩士加納政直。享保元年(1716)吉宗が将軍になると江戸城に移り、御側御用取次となる。
加納久堅(かのうひさかた) 正徳元年〜天明6年8月24日(1711-1786)
第2代八田藩主。別名、東阿倉川藩。父、加納政信。寛延元年(1748)藩主加納久通の養子となり家督を継ぐ。
加納久周(かのうひさのり) 宝暦元年〜文化8年6月2日(1751-1811)
第3代八田藩主。別名、東阿倉川藩。武蔵岩槻藩主大岡忠光(次男)。八田藩主加納久堅の養子となる。天明6年(1786) 加納久堅死去にともない家督を相続。天明7年(1787)老中、寛政5年(1793)若年寄となる。寛政12年〜文化4年(1800-1807)伏見奉行。
加納久慎(かのうひさちか) 安永5年〜文政4年8月13日(1776-1821)
第4代八田藩主。別名、東阿倉川藩。父、加納久周(長男)。文化5年(1808)父の隠居にともない家督を相続。
加納久儔(かのうひさとも) 寛政9年〜弘化4年7月10日(1797-1847)
第5代八田藩主。別名、東阿倉川藩。初代上総一ノ宮藩藩主。父、加納久慎(長男)。文政4年父の死去にともない家督を相続。文政9年(1826)3月上総一ノ宮藩初代藩主となる。天保4年(1833)伏見奉行、天保9年〜天保12年(1838-1841)奏者番。天保13年(1842)家督を加納久徴に譲り隠居。