加納夏雄(かのうなつお) 文政11年4月14日〜明治31年2月3日(1828-1898)
明治の貨幣の名人彫金師。旧姓、伏見。幼名、治三郎。名、寿郎のち夏雄。京都山城国出身。6歳で刀剣商加納治助の養子となるが、10歳で養父が没したため、12歳よし金工奥村庄八について学ぶ。のち池田孝寿に師事し、毛彫を修める。また、学問を谷森種松に、中島来章に絵を学ぶ。18歳の頃開業。25歳で力作「桃源誓図」を持って上京、漸次技が認められ夏雄と改名。明治2年(1927)帝室御用達となり明治天皇の太刀の装具を彫刻。同年造幣局勤務となり、新貨幣の意匠作成、試鋳、極印(偽造防止の刻印)の製造に従事した。新貨幣の彫金には外国人を採用しようと考えていた大隈重信は、加納らが試作した一銭銅貨を見て、そのできばえに外国人の採用を取りやめたという。なお、製造は英国王立造幣局。明治8年(1875)退官。維新後は、貨幣以外では廃刀令があり主に花瓶・置物・飾額・装身具などの制作をした。明治23年(1890)東京美術学校教授、帝室技芸員。明治31年(1898)正六位勲六等。代表作:「月雁(つきにかり)図鉄額」。胸像が東京芸術大学内にある。
墓は、谷中霊園甲1号6側。正面「正六位勲六等加納夏雄之墓」。「芳猶院釈夏雄居士」。2009/05 撤去確認。