樫田亀一郎(かしだかめいちろう)     明治3年5月19日〜大正4年10月21日(1870-1915)

     東宮侍医。父、樫田雅徳(長男)。東京出身。明治21年(1888)東京帝国大学医科卒業し、陸軍衛戌病院勤務、ついで学習院医務課長。傍ら、神経系の病理を研究。明治32年(1899)大腸菌とチフス菌を肉眼で識別する方法を発見。発熱に基因するテタニーに関する論文で医学博士を取得。同年宮内省侍医寮入り。のち明治天皇・昭和皇太后を看護し、東宮侍医となる。樫田病院を創設。46歳。

樫田五郎(かしだごろう)     明治16年〜昭和13年2月2日(1883-1938)

      大正昭和前期の精神科医・宮内省侍医。父、樫田雅徳(五男)。医学博士。従四位勲五等。呉秀三との共著で名著と言われる「私宅監置の実況及び統計的観察」を著わす。56歳。

墓は、谷中霊園 乙4号3側。正面「侍医医学博士樫田亀一郎墓」。