春日とよ(かすがとよ)    明治14年9月15日〜昭和37年4月13日(1881-1962)

    春日流小唄家元。本名:柏原トヨ。父、英国人エドワード ホームズ。母は、浅草の芸妓。東京浅草出身。幼年より祖母と母に歌と踊りを習い、のち、2代今藤長十郎・杵屋勝太郎に長唄を習う。16歳で浅草の芸妓となり鶴助を名乗る。"洋髪の文学芸者"とあだ名がつく。結婚のため一時引退するが、大正2年(1913)復帰。邦楽各流派を研修。とくに小唄に傾注する。大正10年(1921)待合春日を開き、ラジオで毎月小唄を放送。昭和3年(1928)小唄春日流を創始。小唄の創作と演奏に新境地を拓く。昭和35年(1960)紫綬褒章を受賞。昭和36年(1961)8月財団法人春日会を結成。作曲数は245曲。82歳。代表作:「婦系図」、「春琴抄」、「梅一輪」、「心して」、「鶴八鶴次郎」など。

墓は、寛永寺第三霊園。中央大通路のほぼ中央、右側。「春香院殿慧日妙豊大姉」。生没年は顕彰碑より採用。