勝海舟(かつかいしゅう) 文政6年1月30日〜明治32年1月21日(1823-1899)
江戸末期から明治期の幕臣・政治家。海舟は号。幼名、麟太郎のち安芳など。従二位贈正二位。安房守。父、旗本小普請組の勝小吉。江戸本所亀沢町出身。文政12年(1829)7歳で12代将軍徳川家慶5男初之丞の御学友となる。初之丞が早死にした後は、剣術、蘭学に励む。剣術は従兄弟の男谷精一郎(おだにせいいちろう:1810-1864)から直新影流を学んだ。長崎海軍操練所で航海術と砲術を学ぶ。万延元年(1860)咸臨丸を指揮、太平洋を横断して渡米。この実績が認められ幕府の軍艦奉行になる。その後池田屋事件(1864年に起きた新選組による尊王攘夷派襲撃事件)に関連して一時表舞台から消えるが、幕府は慶応2年(1866)第二次長州征伐に失敗すると、全権使者とし呼び戻した。慶応3年(1867)大政奉還されると、海舟は徳川家存続を条件に旧知の官軍側西郷隆盛と3日間の会談をし江戸無血開城をなしとげた。墓は、洗足池池畔(東京都大田区)。享年77歳。「大観院殿海舟日安大居士」。