桂小文治(かつらこぶんじ)・2代    明治26年2月28日〜昭和42年11月28日(1889-1967)

    落語家。本名、稲田祐次郎。前名、桂小米・桂米丸(2代目)。明治39年(1906)7代目桂文治に入門、桂小米の名で浪花三友派に所属。明治45年(1912)桂米丸と改名。大正6年(1917)東京寄席演芸株式会社が設立されると浪花三友派から派遣され上京。大正7年(1918)桂小文治を襲名、真打となる。のち落語睦会に移ったが、昭和6年(1931)日本演芸協会を設立し自ら移る。昭和8年(1933)柳家金五楼・春風亭柳橋らの日本芸術協会と合流。昭和38年(1963)「紙屑屋」で芸術祭奨励賞を受賞。
※ 初代という説もある。

墓は、寛永寺第一霊園。国立博物館側塀寄り通路のほぼ中央、塀向き。清水川墓と同じブロックの背中側。正面「稲田家之墓」。「芸能院小文治居士」。