落語家。本名、松尾福松。11歳で2代桂南光(後の桂仁左衛門)に師事。噺も踊りもうまい神童だった。明治37年(1904)徴兵検査に合格し入隊。翌年日露戦争に出征。明治39年(1906)除隊し高座に復帰。同年11月2代目桂三木助を襲名。明治43年(1910)博打の借金で東京に逃げ、4代橘家円喬に身を寄せ橘家三木助と改名。藤間流など複数の日本舞踊を修行。のち、大阪の吉本興業に入る。大正4年(1915)中国大陸に巡業。大正5年(1916)5月浪花三友会に加盟。「菊江仏壇」、「雑穀八」、「箒屋娘」、「網船」などを得意とした。