桂 三木助(かつらみきすけ)・2代    明治17年〜昭和18年12月1日(1884-1943)

    落語家。本名、松尾福松。11歳で2代桂南光(後の桂仁左衛門)に師事。噺も踊りもうまい神童だった。明治37年(1904)徴兵検査に合格し入隊。翌年日露戦争に出征。明治39年(1906)除隊し高座に復帰。同年11月2代目桂三木助を襲名。明治43年(1910)博打の借金で東京に逃げ、4代橘家円喬に身を寄せ橘家三木助と改名。藤間流など複数の日本舞踊を修行。のち、大阪の吉本興業に入る。大正4年(1915)中国大陸に巡業。大正5年(1916)5月浪花三友会に加盟。「菊江仏壇」、「雑穀八」、「箒屋娘」、「網船」などを得意とした。

墓は、長久寺墓地 (谷中5-4-11)。墓地入口より右奥隅。墓誌ないがお寺様に確認済み。お寺様によると墓守を引き継ぐ人がなく無縁状態とか。竹沢家と合祀だがお寺様の話をヒントに想像すると内縁の妻で、また、岡村美代という方は、「善苗主(善いことをした人)」とあることから他人で昭和23年に建立したものとみられるが、関係未調査。