川上不白(かわかみふはく)・初代    享保4年〜文化4年10月4日(1719-1807)

    茶道江戸千家初代宗主・俳人。名、亀次郎。字、尭達。号、宗雪・不白・一乗庵など。通称、不羨斎孤峯不白。父、新宮藩士川上五郎作(二男)。紀州新宮出身。江戸へ出て水野侯に仕え名を新柳とした。ついで京都に上り、16歳で表千家7代目如心斎天然宗左に入門し、茶の湯を学ぶ。如心斎が利休150回忌に100回の茶事を催した際、不白21歳の若年で師を助け、やり遂げたことから宗雪の号を頂き、黙雷庵宗雪という。俳諧もよくし、俳号を蓮華庵・不羨斎という。32歳のとき師の命により江戸に出て千家の茶の湯の普及に尽力した。江戸の町人文化の影響を受けながら京都とはまた違った江戸前の茶風を創造し、江戸家と呼ばれた。安永2年(1773)隠居し孤峯不白と号した。「七福神」など自作の茶器も有名。俳諧をよくし刀技にも長じた。池之端に住み、蓮花庵とも号す。池之端のホテル水月荘前には、旧居「一円庵」があり東京都文化財となっている(非公開)。89歳。

墓は、安立寺(谷中5-3-17)。山門より直進し案内にしたがって右折。その先を左に行き、擁護殿角。墓誌裏に戸籍謄本が貼ってある。「円頓済狐峯不白日祥居士」。なお、門下の川上渭白墓(元文元年〜文政4年11月19日)もある。また、同門下の石塚宗通墓は、谷中霊園乙11号6側にある。

 
一円庵
川上渭白墓