川上華顛(かわかみかてん)/川上由之/川上季礼    文化元年〜明治2年10月7日(1804-1869)・・・1802説あり

    書家・幕府麾下(直属)の天主番。名、由之。字、季礼。通称、謙三郎。号、花顛・黙飲道人など。父、幕府天守番金子半三郎(三男)。同僚川上長次郎の養子。林大学頭付属学問所出役。徒目付。勘定留役。文化13年(1816)表祐筆。筆札を男谷燕斎に学ぶ。弘化2年(1845)奥祐筆。板倉侯に清廉を認められ表祐筆組頭。このとき賀客が押し寄せたが戸を閉めて会うことはなかったという。毎月四の日と九の日は、自宅で門弟の指導をすることを許されたが、この破格の待遇にも驕らなかった。徒士目付。維新のはじめ静岡に閑居。刊:「花顛先生遺稿」。静岡にて没する。66歳。
※ 祐筆:武家の職名。文書・記録の作成係り。

墓は、谷中霊園乙3号7側。正面「川上華顛之墓」。