川上冬崖(かわかみとうがい)/川上寛 文政10年6月11日〜明治14年5月3日(1827-1881)
幕末・明治の洋画家。信濃国福島新田村(現長野市北屋島)出身。旧姓、山岸万之丞、のち川上寛。18歳で江戸下谷に住み、大西椿年(1792-1851)に師事。安政4年(1857)幕府蕃書調所に絵図調出役となってから西洋画法を研究。文久3年(1863)開成所画学校で教授。明治維新直後、いったん沼津兵学校に移ったが、明治3年(1870)再び東京に戻り、大学南校図画御用掛、下谷に聴香読画館を設立し、子弟を養成。文部省などにも勤める。高橋由一(1828-1894)、小山正太郎(1857-1916)らを輩出。陸軍省8等出仕、地誌編修兼内国博覧会審査官。しかし、陸軍省にて日本地図作成の洋画指導をしたが、清国に密売したという事件が起き、冬崖は熱海で謎の自殺をした。55歳。冬崖の作品は、長野県立信濃美術館に百点以上が所蔵されている。なお、作品「生首を抱く幽霊」が全生庵(谷中5-4-7)にある。著書:日本で刊行された最初の西洋画法の教科書「西画指南」。
墓は、谷中霊園甲8号20側。安立院前通り銀杏荘前。正面「冬崖川上先生之墓」。